2013年09月04日

死なない蛸



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死なない蛸

          萩原朔太郎

 或る水族館の水槽で、ひさしい間、飢ゑた蛸が飼はれてゐた。地下の薄暗い岩の影で、青ざめた玻璃天井の光線が、いつも悲しげに漂つてゐた。
 だれも人人は、その薄暗い水槽を忘れてゐた。もう久しい以前に、蛸は死んだと思はれてゐた。そして腐つた海水だけが、埃つぽい日ざしの中で、いつも硝子窓の槽にたまつてゐた。
 けれども動物は死ななかつた。蛸は岩影にかくれて居たのだ。そして彼が目を覺した時、不幸な、忘れられた槽の中で、幾日も幾日も、おそろしい飢饑を忍ばねばならなかつた。どこにも餌食がなく、食物が全く盡きてしまつた時、彼は自分の足をもいで食つた。まづその一本を。それから次の一本を。それから、最後に、それがすつかりおしまひになつた時、今度は胴を裏がへして、内臟の一部を食ひはじめた。少しづつ他の一部から一部へと。順順に。
 かくして蛸は、彼の身體全體を食ひつくしてしまつた。外皮から、腦髓から、胃袋から。どこもかしこも、すべて殘る隈なく。完全に。
 或る朝、ふと番人がそこに來た時、水槽の中は空つぽになつてゐた。曇つた埃つぽい硝子の中で、藍色の透き通つた潮水と、なよなよした海草とが動いてゐた。そしてどこの岩の隅隅にも、もはや生物の姿は見えなかつた。蛸は實際に、すつかり消滅してしまつたのである。
 けれども蛸は死ななかつた。彼が消えてしまつた後ですらも、尚ほ且つ永遠にそこに生きてゐた。古ぼけた、空つぽの、忘れられた水族館の槽の中で。永遠に――おそらくは幾世紀の間を通じて――或る物すごい缺乏と不滿をもつた、人の目に見えない動物が生きて居た。


底本:筑摩書房刊 「萩原朔太郎全集第二巻」所収             「宿命」より

音楽: 蜿タ和子
朗読: みさきすずか

2011/8/14 神奈川県民小ホール
  第11回コンサート・コーモド ライブ録音



2011年8月ケロログ
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2013年09月03日

青猫



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青猫

          萩原朔太郎

この美しい都會を愛するのはよいことだ
この美しい都會の建築を愛するのはよいことだ
すべてのやさしい娘等をもとめるために
すべての高貴な生活をもとめるために
この都にきて賑やかな街路を通るはよいことだ
街路にそうて立つ櫻の竝木
そこにも無數の雀がさへづつてゐるではないか。
ああ このおほきな都會の夜にねむれるものは
ただ一匹の青い猫のかげだ
かなしい人類の歴史を語る猫のかげだ
われらの求めてやまざる幸福の青い影だ。
いかならん影をもとめて
みぞれふる日にもわれは東京を戀しと思ひしに
そこの裏町の壁にさむくもたれてゐる
このひとのごとき乞食はなにの夢を夢みて居るのか。


底本:筑摩書房刊 「萩原朔太郎全集第二巻」所収
            「定本青猫」より

映像: 花元 潔
朗読: みさきすずか

2011/8/14 神奈川県民小ホール
  コンサート・コーモド ライブ録音








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2013年09月02日

「遺伝」



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遺傳
       萩原朔太郎

人家は地面にへたばつて
おほきな蜘蛛のやうに眠つてゐる。
さびしいまつ暗な自然の中で
動物は恐れにふるへ
なにかの夢魔におびやかされ
かなしく青ざめて吠えてゐます。
  のをあある とをあある やわあ

もろこしの葉は風に吹かれて
さわさわと闇に鳴つてる。
お聽き! しづかにして
道路の向うで吠えてゐる
あれは犬の遠吠だよ。
  のをあある とをあある やわあ

「犬は病んでゐるの? お母あさん。」
「いいえ子供
犬は飢ゑてゐるのです。」

遠くの空の微光の方から
ふるへる物象のかげの方から
犬はかれらの敵を眺めた
遺傳の 本能の ふるいふるい記憶のはてに
あはれな先祖のすがたをかんじた。

犬のこころは恐れに青ざめ
夜陰の道路にながく吠える。
  のをあある とをあある のをあある やわああ

「犬は病んでゐるの? お母あさん。」
「いいえ子供
犬は飢ゑてゐるのですよ。」

底本:筑摩書房刊 「萩原朔太郎全集第二巻」所収
            「定本青猫」より

音楽: 蜿タ和子
朗読: みさきすずか

2011/8/14 神奈川県民小ホール
  コンサート・コーモド ライブ録音



2011年8月ケロログ


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2013年09月01日

「緑色の笛」 Live


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緑色の笛
     萩原朔太郎

この黄昏の野原のなかを
耳のながい象たちがぞろりぞろりと歩いてゐる。
黄色い夕月が風にゆらいで
あちこちに帽子のやうな草つぱがひらひらする。
さびしいですか お孃さん!
ここに小さな笛があつて その音色は澄んだ緑です。
やさしく歌口をお吹きなさい
とうめいなる空にふるへて
あなたの蜃氣樓をよびよせなさい。
思慕のはるかな海の方から
ひとつの幻像(いめぢ)がしだいにちかづいてくるやうだ。
それは首のない猫のやうで 墓場の草影にふらふらする。
いつそこんな悲しい景色の中で 私は死んでしまひたいのよう! お孃さん!


底本:筑摩書房刊 「萩原朔太郎全集第二巻」所収
            「定本青猫」より
映像: 花元 潔
PC操作: 玲

朗読: みさきすずか

2011/8/14 神奈川県民小ホール 
コンサート・コーモド ライブ録音



「緑色の笛」 Live(2011年8月ケロログ)

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2013年08月31日

「猫」 〜月に吠えるより〜



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  猫
         萩原朔太郎

まつくろけの猫が二疋、
なやましいよるの家根のうへで、
ぴんとたてた尻尾のさきから、
糸のやうなみかづきがかすんでゐる。
『おわあ、こんばんは』
『おわあ、こんばんは』
『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』
『おわああ、ここの家の主人は病気です』


底本:筑摩書房刊 「萩原朔太郎全集第一巻」所収
            「月に吠える」より

音楽: 蜿タ和子
朗読: みさきすずか

2011/8/14 神奈川県民小ホール 
コンサート・コーモド ライブ録音



猫 〜月に吠えるより〜(2011年8月ケロログ)

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2013年08月30日

Lady Macbethの夜



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原作: シェイクスピア 「マクベス」より

音楽&演奏: 柳沼和子
訳・構成: 花元千鶴子
 語り: みさきすずか

2010年8月14日(土) 神奈川県民小ホールライヴ録音





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Lady Macbethの夜(2010年8月 ケロログ)




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